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雑記屋営業日誌

雑記屋における日常とか

続続続・読書

 久しぶりに、という割には2日程間を空けた期間でしかないけれど、感覚的にはそう感じるので久しぶりに日誌を更新します。どうも蒼ですこんばんわ。一昨日は帰宅時間が遅く本を読む時間が取れず、昨日はクジラ艇の2章用に編成を弄ってたら寝オチしたので……

 気を取り直して、今日読んだ本「ブギーポップ・ビューティフル パニックキュート帝王学 著:上遠野浩平」の感想を。
 と、切り出した訳ですが、今私が考えている事は今作品では無く、ブギーポップシリーズ全体を通しての事で、それはどういう事なのかというと、「この作品群、すごいずるい」という想いです。
 あまり詳しくないのですが、劇場のお芝居において、アドリブの応酬によってシナリオが破綻したときに強制的に全てを終わらせる「デウス・エクス・マキナ」という機能(?)があります。これは普通、歓迎される事態ではないと思うのですが、ブギーポップシリーズではほぼ全てにおいて平然と行使されている、これは異常な事で、尚且つ凄い事だと20年このシリーズを読んでいて始めて気が付きました。いや、ホント、事件だけ強引に纏めて、それでオシマイ。それで物語が成り立ってるのは、登場人物の描写が凄いから、とか書いてて意味がわからない。
 そして、デウス・エクス・マキナ=ブギーポップを前提に存在する「物語のズルさ」ですが、これは、正義あるいは正当性を書かなくてもいいという所にあります。普通、ラノベのストーリーというのは主人公の意思みたいなものが最後に優先されるのが常ですが、それを全て否定できる。誤解を招くかもしれない書き方ですが「主人公を含む全員が悪」でもブギーポップが事態に収束をもたらす。
言葉にすると酷く簡単ですが、実際は、本当に核心のみを終わらせるので、非常に繊細な作業だと思うんですが、そうして出来た作品が、あるいは誰かが必死で組み上げようとしている為の土台を、こういう物だからというごり押しで解決してしまうので、感想としては『うわ……嘘だろ、ふざけんな』みたいなものになります。いや、作品を貶める意味ではなく感心しかないのですが。セカイ系で群像劇の書き方としてこれ以上の方策があるのであれば読んでみたいものであります。

そんな訳でブギーポップシリーズは終了。次はとある魔読むぞー。でわー。
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